2008年07月02日
黒川能 鐘巻の跡
立派な梁である。これは今年2月3日、王祇祭の片づけが終わった下座当屋。
舞台がしつらえられた場所の見上げの図である。ついさっき、ずっとこの家の
準備を手伝ってくれた大工の棟梁が天井板を塞いだばかりである。
2月1日の夜中に、能番組でも大変な人気がある「鐘巻」が舞われ、大勢のどよ
めきとため息がこの空間を満たした。(下の写真は他のblogから拝借)上座に
「道成寺」、下座に黒川だけが伝えるその原曲「鐘巻」あり。
この家は200年前からこの姿で建っている。その間、この家が何度の当屋を
務めたか、とーしろは確認していないが、少なくとも今年頭人を務めた出羽様
とお婆さんの親の代は、受当屋をしてその年に御爺さんが亡くなり、当屋をし
ないでしまった。(お婆さんの御爺さんのとき(=お婆さんが12歳の少女の時)
の当屋は無事に務めたとのこと。それ以来の待望の名誉ある当屋であった。)
準備をしていた昨年、大工の棟梁が天井裏を確認した時に改めて見つけた物。なんと、天井の中には「鐘巻」の鐘を吊るす金物が取り付けられていたのだ。能番組を構成する重要な大道具の仕掛けが、数十年後の子孫に無言の「残しておくから使え!」と。200年前の江戸時代の金物が、黒川の歴史と営みを見つめてきたのだった。
そして、片づけが終わりにぎやかな声が庭から台所からしてくる。
「当屋」から「受当屋」へ大事な王祇祭の荷物道具を引継ぎ、「へそび」を持って
帰ってきた若者がその「へそび」を皆の顔にぬりたくっているのだ。
この方は「所帯持ち」といって当屋の家の中の一切を責任持ってこなす大役を
みごとに遂行した男。(太夫様とはまた違う意味の重要な役、かっこいい)
この女性は上座の実家、嫁ぎ先の自宅、そして今年の庄右衛門と3年連続で
身内、同じ集落の当屋を経験した「超美人」。自分からすすんでへそびを付けて
もらってるようだ。
(この「へそび」で羽黒の多聞館さんの2月3日のblogに繋がる、パチパチ)
最後に筵(むしろ)に人を乗せて「ドン付き」で〆る。鐘が吊るされていた同じ空間。
どこかのお嫁さんを揚げて「おぼでぐであがらね」
へへっ、そうこうしてる間にとーしろの耳はロバの耳、トリュフを見つける豚の鼻。
12歳の乙女だった「今のお婆さん」(綺麗なひとだろ)ときの能番組の連絡が入る。
とさらに3代遡って、1742年寛保 2年・・・(江戸ハルミ時代)・・・まで情報が入る。
唸る。 ええええっ、記録があるのーーーっ? ここでは教えられない。
またひとつ「黒川」がその昔、大泉庄と呼ばれた庄内の地で、独自の文化と自信を
持って歩んできた歴史をまざまざと見せつけられる。真壁先生、馬塲先生、私はもう
ついてイケません。雪倒れ・・・吹き倒れ・・か?・・・バタッ
ランキン押してちょうだい
Posted by とーしろ at 12:58│Comments(6)
│黒川能
この記事へのコメント
上座に「道成寺」あれば、下座に「鐘巻」
好きな演目の一つだ。
しっかし・・・
いつでも「それ」が出来るようにと、金具が取り付けてあるあて・・・
歴史感じるの!
Posted by どぜお at 2008年07月02日 17:45
どぜお様:おれもそれ聞いたとき感心した。
黒川の連綿と続く歴史と自信みたいなもの。
追記、立て替える前の家の板戸、建具を
保存してあるって・・。ますますあんぐり。
Posted by とーしろ at 2008年07月02日 18:38
「へそび塗り」の画像をようやく目にできました。
なるほど・・・。
豆腐焼のとき、「所帯持ち」の方に、なれなれしく質問していた私でした。
ほんとうに、格好良かったです。時代を超越したようなオーラがありました。
Posted by 土岐 at 2008年07月02日 19:56
土岐さま:へそびの写真、生でいきたかった
が、本人に確認とらずなものでモザかけまし
た。おもしぇ写真一杯あります。「しょでーも
じ」のおじさんはほんとに良く動いて体力気
力の凄まじさ。頭が下がりました。
Posted by とーしろ at 2008年07月02日 20:02
何処かで見た家かと思えば庄右衛門さんとこですか?
俺もかなりおもしろい顔になって帰ってきましたよ(笑)
Posted by cno at 2008年07月03日 01:54
cnoさんたら:「太鼓のメーカー」で気がつかなきゃダーメよ!(笑) ・・・で、お互いダレダカ、パリダカ判ってないわけですよね。こりゃまいった。へそびでおもろい顔は「出羽の守」を含めたっくさん撮ってありますぜ。
Posted by とーしろ@北九州 at 2008年07月03日 07:30
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