大叔父の句集 黒川能編

とーしろ

2020年02月13日 12:12







とーしろオヤジのおばあさんには兄弟が何人もいて一番下の大叔父が黒川の清和庄右衛門。
おばあさんのすぐ下の大叔父は仕事とは別に俳句を3300首も詠んだ人。
俳名を庄司一遥子という。趣味にしては膨大な作品数だ

娘婿の林さんがその作品を自費出版の2冊の立派な句集にしてくださったのが18年も前か。
その一冊を実家からもらったので大事に持っている。




黒川能に興味を持ってから改めて読んでみると、末弟である庄右衛門が黒川能に関わっている様子を読んだ作品が少なからずあった。我らが子供のころか、昭和53年ころにも黒川能が登場する句を詠んでいるので歳とってからなのか。





庄右衛門は太鼓の家柄である。いちばん寒い王祇祭の時期に出番を待つ楽屋の様子を(たぶん)覗いたりしたのだろうか。今でもあるかやるか股火鉢。囃し方は舞台に出るときは出づっぱり、番組により出ないときはずっと待ちだ。あんまりあぶると大事なところが焦げる。

「くっさめ」というアイ狂言方の面白い役回りをあほう役とは失礼だが微笑ましく見たのだろう。知らずに見ているとテンションの違う狂言方の登場に面食らうときがある。一遙子大叔父はどの程度の前知識をもって観たのであろうか。ちなみにトーシロオヤジはいつまで経ってもどしろーとのままだ。






「あさひ」とは王祇祭で夜が明ける時間まで見たのだろうか、七色に煌めく光の粒が見えるようなきれいな表現だ。
豆腐焼く串を青竹と誤解したかもしれない。あるいはその当時竹串を使ったこともあるのだろうか、知ってる限り杉串を使う。
大地踏みの子の頬が当時は雪遊びなどで焼けていたのだろう。時代を感じる。
蝋燭の明かりに照らされる能をしみじみ観た感じが伝わる





庄右衛門家の茶の間の大梁は確かに200年の色つやを含み太鼓の音が沁みこんでいることだろう。
笛の使い手も代々受け継がれた血筋というものが貫禄と良い音色を持つ意味の句。

この句集に一遙子が描いた挿絵が数点載っているが、もう一冊は挿絵がもっと多く載っている。今度、実家に行ったら見てみよう。 それにしてもシベリア抑留を経験して家に戻り、農協勤めや会社経営をしながら趣味にも生きたんだなあと思う。親族が大勢集まる盆正月はよく飲みよく喋り、賑やかの中心に居たものだ。


3300首以上の俳句を詠んだこの大叔父は96歳まで頑張った、おばあさんは103歳まで生きた(写真のまんなか)。おじいさんは95歳まで。庄右衛門大叔父は今93歳で元気だし、自分の親父も92歳で元気。長寿の家系には違いない。  




(ここに載せた句は作者と出版としっかりありますので模倣、転載など著作権は冒さぬよう願います)

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