2015年07月06日
黒川能 平成27年 例大祭 下座
2月末の蝋燭能、夜の部でベテランの役者が目をキラキラ輝かせてこう言った。
「5月の例大祭で鐘巻のシテをやらしてもらえることになった。どこまでできるかわからぬが楽しみだ」
『鐘巻』 安珍・清姫伝説を題材にした番組で、基本的に「道成寺」と同じもの。謡の一部に違いがあるらしい。
時は醍醐天皇の御代、美しい僧侶”安珍”に恋焦がれた”真砂の庄司清次の娘(清姫)”が安珍に夜這いをかけるが、修行の身である安珍は応じるわけにもいかず帰りに必ず立ち寄るからと約束をする。しかし、寄ることなくさっさと帰ってしまう。裏切られたと悟った清姫は蛇身となって追いかける。紀州道成寺の鐘に隠してもらった安珍だが、清姫は鐘に巻きつき火を吐いて鐘ごと安珍を焼き殺してしまう。
惚れた女の怨念はかくも強し。
「安珍はどこにおんねん」
今も昔も女は「イケメン」にいちころらしい。この世から「イケメン」などという輩はいなくなれば世の中平和というもの。悲しく悔しい物語だ。そういうわけでこの「鐘巻」「道成寺」は永遠の人気番組だ。しかし、高度な技を必要とする難曲でもあるとのこと。
「鐘巻道成寺」という呼び方もある。黒川では上座が「道成寺」、下座が「鐘巻」を演ずる。
今年の「五月の旅」はこうして5月3日の鶴岡を最終として4日には千葉に戻るよう計画したのでした。
前置きがとても長くなってしまいました。
釣鐘が失われてから久しく時が経ち、ようやく再興され供養の日
(2009年2月1日に不覚にも寝てしまい、鼾がうるさいと被せられた「鐘」 か?)
能力が鐘を吊り上げると
一人の白拍子がやってくる
「女人禁制」と説いても帰ろうとせず舞いを見せるという条件で参拝を許される
ここから一気に緊張の舞い 〔乱拍子〕 へと移る
はずかしながら・・・
「乱拍子」と聞いて、昔、蛸井孫右衛門という小鼓の天才少年が東京で五流から誘いを受けるほどの腕を披露したと聞いてますます、「乱拍子」とは激しく速いテンポの難しい技だと想像していた。
ここで小鼓を打つのはその蛸井孫右衛門家の正志さん。
実はまったく想像と違い 深く 静かな 「静」 の妙技だった。
「乱拍子」とは小鼓の気合と間合い 対 シテの脚技の静かな舞い
上半身は微動だにせず、ひたすら水平にゆっくり移動する。
脚だけが進み、捻り、上げ下げ、平らにつく・・・・・
(下座はつま先を離さない、という決まりへの例外など具体的なことは後々、教えてもらおうと思う)
これはよほど心身を鍛えないと出来ない舞いと思えます。静止するバランス感覚、持続する体力。小鼓の鼓動とシンクロし研ぎ澄まされた五感。同時に小鼓にも同じ一音すら失敗の許されない緊張感と気合いが求められます。観ている方にも伝わってくる掛け合いの妙。
どなたかのBlogで見つけた写真です。足技がよくわかります。
まさに下座の「乱拍子」なのでご容赦願いたし。
(隣に写っている太鼓は親戚のアニキ)
さて、ここから急展開
シテのジャンプと鐘の下ろすタイミングの絶妙
白拍子は鐘の中に
急を聞いた僧侶はもしや清姫の蛇身では と・・・・ 災いの無いように祈ります
しかし、現れたのはその「蛇」でした
清姫の苦悩が
僧侶の祈りの強さも強力です
想いが成就できなかった女の情念がめらめら燃えて
最後は僧侶の祈り勝ち
清姫の怨念は鎮められました。
素晴らしい舞いを見せていただきました。
この番組は見どころ満載、迫力満点で大人気です。
黒川能は全国へ、ときには海外にも出張します。
上座は平成25年10月19日、京都 金剛能楽堂で斉藤賢一太夫が「道成寺」を舞っているし、
下座は2013年10月31日、紀州の本物の道成寺(雨天で体育館に移動)で「鐘巻」を上野由部太夫が舞った。
『乱拍子』という言葉は他にも使うかと調べると、「道成寺」で使われる小鼓と合わせて演じられる特殊な舞い、とあり他には使わない言葉だった。
今度は黒川の「土蜘蛛」も観てみたいものよ、のう。
長い記事のご静聴、ありがとうございました。
Posted by とーしろ at 12:00│Comments(0)
│黒川能
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