2015年06月21日

黒川能 平成27年 例大祭 式三番

シロートが乱暴に言えば、商業としての「能」は祭りの胎から離れ、舞いの形、美しい響きを求め、スポンサーである武士、殿様に喜んでもらえる形で進歩してきた。

一方、黒川能は、能の原型である能猿楽の時より依然として、民衆の祭りの胎と臍の緒が繋がり、数百年経とうがなにひとつ変化することなく連綿と当初の目的を維持している。
 
変わったといえば、伝統を守り続ける民衆の生活様式と電子機器をはじめとする絵や音や情報の伝達装置の速さくらいか。

いやもうひとつ、昔はどぶろくを自作したのに、酒税法で縛られる現代は清酒を買わなくてはならないことも大きく変わってしまった。




平成27年の例大祭

厳かな神事の後に、式三番



面箱を持つ千歳、続く翁。彼らの登場で、時の流れが平常とは違う鼓動に変わる。



商業の能は各番組においては高度な技量で見る者を魅了することだろう。
しかしながら、こと「式三番」においては話は別だ。

商業能の式三番は元々民衆のために舞うわけではないので祈るもの、願うものが希薄にならざるを得ない。たぶん。
あるとしても一般論としての平和だし、動きの美しさだけが昇華し残ったもののように見える。ネットで見たプロの狂言師の三番叟はキレのある動きと躍動感は素晴らしいが、所作の元になったものがぼやけてしまい (本来あったはずの種蒔きとか烏飛びとか) かっこいい方に崩れているのではないかと思う。動きの奥にあるはずの想い、願い、祈りのようなものが見えない。





ここには目一杯の想いが込められている。



千歳は「文殊菩薩」



半歩で「スッ」と止まるハコビ、ぶれることなくクルリと回転する芯。





王祇に面を載せ、後見が結ぶ

太夫同志、声に出さずとも通ずる「阿吽」



翁は「観音菩薩」




時間を止めてみせるがごとき 「白式尉」の「静」






三番叟 「籾の段」の躍動





黒式尉の三番叟は「弥勒菩薩」の「鈴の段」









本来の目的を持つ黒川の式三番は「農耕儀礼」と言おうが言うまいが、舞い手が「神」となり「菩薩」となり、五穀豊穣、世の繁栄を願う。そこにはプロフェッショナルもアマチュアも無く、ただ、真摯な態度と「神への礼」があるのみだ。






黒川能の式三番、美しい所作。


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Posted by とーしろ at 13:00│Comments(0)黒川能
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