2014年07月13日

まさた 

おもわず反応してしまいました。

「まさた」  
ダルとマー君はほほえましく冗談かましているのですがそれとまったく関係の無い話で申し訳ないです。

まさた 

とーしろオヤジにはまったく違う記憶がよみがえる名前なのです。
ジェネレーションギャップもりもりな古い話になってしまいますがご容赦。

鶴岡や東田川郡の村々に新鮮な魚を売り歩いていた「あば」がいた。朝早く漁港のある町から汽車で大きな荷物を担いでやってくる行商のひとたち。女性がほとんどだがうちの村にやってくるのは「まさた」という元気の良いオヤジもそのひとりだった。それとなじみの「あば」とうまく商売を共存していたのだろう。とーしろオヤジが家を離れる頃にも元気に商売をしていた。子供も呼び捨て 『 まさた 来たっ! 』。
それだけ生活の中に溶け込んでさかなやさんの代名詞で皆に愛されていた。

「今日はなに売りさきたがというと・・・・の魚は煮て食うとうまい」  「・・・は刺身が一番」 などと言いながら世間話をひとしきりして次の家にいくのだった。

まさた 



行商の「あば」は市内の殿様のところでもなじみの風景、魚の仕入れ先だったようです。以下、とある「2ちゃんねる」から抜粋。

庄内藩主だった酒井家には、17代目の酒井忠明さん(故人)が生前、撮影したアバの写真が数多く残る。 長男で18代目の忠久さん(66)は「アバたちが行商する様子を、父は、庄内を代表する風景として親しみを持っていたのでは」と話す。

まさた 



自動車の無い時代に浜から遠い場所の人も新鮮な魚を食べられる貴重な存在だったのだろうと思う。肉はたまにしか食卓に出ないが魚は毎日のように食べた。今のところ病気もしない丈夫なからだは「まさた」と「あば」のおかげでもある。

時代が移ろい車に乗りスーパーマーケットでほとんどの買い物をする時代になってもまだ元気に商売を続ける「あば」もいた。しかし、2013年3月31日をもって「田川地方行商協同組合」が解散し事実上「行商」の歴史は幕を閉じてしまった。





話を冒頭に戻せば、あの丈夫なマー君の肘が働きすぎで痛んでいたとは残念なこと。じっくり完治してまた胸のすくような快投を見せてもらいたい。ダルも勝ち星を積み上げて欲しい。

ブラジルはキャプテンが戻ってもネイマールが不在なことを差し引いても何かが崩れてしまって勝負にならなかった。アルゼンチンはメッシが徹底マークされても崩れないことを祈ろう。サイボーグみたいなドイツは強い。準々決勝以上のなかなか点が入らないゲームでも白熱したせめぎあいは見どころではありつつ、相手の良いところを消し合う戦い方を見ると全体ではなんだかわくわく感が薄れてしまったワールドカップだ。

マルチな話題でお騒がせしました。



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Posted by とーしろ at 12:00│Comments(0)のすたるじ
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