2013年11月04日
1000年続く森と林業の恵み
「多種共存の森」
1000年続く森と林業の恵み
森林に魅せられた黒川出身の東北大学の先生が書いた本の紹介です。
実は届いたばかりでまだ何ページも読み進んではいない。いないのだが新聞にも広告が載り、ネットを見れば本屋はもちろんパソコン屋の書籍コーナーでも販売されておりかなり広く宣伝が行き届いているので、黒川出身の先生の本でもあるしと思いつつ、いや、こんなとーしろごときの稚拙なBlogで紹介するには文章力が乏しく恐縮だと引いてみたり、それでもええい! 出版祝いに載せてしまおう。 というわけ。
イタリアンの店に行く前に注文し、夕方には届いた迅速なシステムはAmazon
本の内容の学術的な難しい部分は知見を持たぬゆえさておき、自然の仕組みは各種の木、植物と動物、細菌にいたるまで見事な共生で成り立っていること。人はそのことを理解し森林を、木を大事にし循環型の社会を保つこと。自分の住む近くの木材で家や家具を作り、また世界でももっとも優れた加工技術を受け継いでいくこと。震災で大きな被害を受けた東北の復興のためにもそれらの想いが必ず力を発揮することなど共感できる考え方が述べられている。
清和先生が北大の学生だったときから北海道庁に勤めていた間に聞いた実際の話として、地元の林業を営む人たちが巨木をたくさん切り倒して売り大いに儲けさせてもらった自慢話が飛び交っていたこと。数百年、ややもすると1000年もかかって静かに成長してきた森林が、アイヌ民族が大切に守ってきた木々が、3,40年の間にいともたやすくあとからやってきた=それまで何も森林の面倒見ることも無く他人だった人たちの収入となり、木そのものは外国の家具や鉄道の枕木になって消費されていったことなど冒頭から紹介されていて驚く。
この中で衝撃的だったのはそうやって人間が巨木を切り倒しお金に換えてしまった森の面積が大きく、自然のままの姿を残す山はほんとのほんのわずかしか残っていないということ。日本の国土のかなり多い数十パーセントの山々は人間の手が入ってしまっていること。
森はそれまで自然に共生して育っていた広葉樹が人によって切り倒されかわりに植えられたのは針葉樹でありかつて豊かに調和していた森の生態系は人によってずたずたにされ貧弱なものに置き換えられてしまった。
いろいろな広葉樹の材でこしらえてある箪笥の前板の写真。残念ながらそのままの姿はモノクロで本のカバーには隙間を加工した写真が載っている。ぜひとも実物を見たい思いに駆られた。
ギターの表に意外な木を使って作ってみたい
これはというスピーカーボックスの木は何が良い。ツキ板でも良い。
これを書いているときに本はまだ途中まで。
国土と森林とを論じている本に失礼な私的な話で申し訳ないが、自分にチャンスがあるならば、もう一回家をじっくり計画して建てることが出来るならば、東北の木をふんだんに使って木のぬくもりたっぷりの空間を作ってみたいと思う。が、しかし、今の自分の経済力も年齢にしてももう一度家を建てることなど難しいことだし、さらに住宅建築を取り巻く環境も張子の建材とプラスターボードのような不燃材、安く速く組み上げるための工業製品化された材料ばかりで、無垢の木材を使ってもらうような建て方をした日にゃいくら掛かるか眼ん玉をひんむくような費用が掛かるだろう。昔のように普通の民家に普通に無垢の木材が柱と梁に使われることなどもはや夢物語。庶民の価格で建てられるような木材の流通、製材所、工務店&大工さんがいないものか。古民家再利用の家などもあるがこれまたかなり目ん玉ひん剥くようなお値段がするのだ。
子供の頃、関東に親戚が家を建てるときにお祖父さんが木材を送った。在来工法で建てられたその家は決して贅沢でもなく大きくもない普通の家だが50年過ぎた今も、一部改装工事をした今もがっしりとしている。当時の大工の腕もあるだろうが無垢の木材がしっかりしているのだ。そのお祖父さんが我々子孫のために○○ヘクタールにわたって植えてくれた杉の木は今も庄内の山で成長中ではあるが、少なくともわたしの住む空間に生きてる時間内に役立てられることには残念ながらなりそうもない。むしろ、親父がずっと面倒をみて下刈りをしたり、雪で倒れた木を片付けたり手を掛けてきたがもう80歳を過ぎてそろそろ親父自身が山仕事をするにはつらい。これから先の山の面倒と木を出荷できるようになる頃の経費が気掛かりではある。
己の小さな話を書いてしまったが本の話に戻ろう。
この本で述べられているのは、自然の森林がゆっくりと調和しながら出来上がってゆく仕組みを明らかにすることによって人間がやっきになって追い続けてきた「効率」というものを根本から問い直したかったこと。都会にコンクリートの密集した高層建築を林立させ、水や空気まで人工的に制御し「効率」を追い求めて電気を多用し、原発を必要とし、結局はそんなに効率を追い求めていないところにいる人たち、より生態系に近く暮らしている人たちが汚染されている。最高に効率の良いはずの原発は総合的にはとても非効率なものだとわかったはずだ。こんな偏った不平等なシステムはもう終わりにしようと言っている。生態系の自然な力を取り入れ自然と人が調和、共生しながら暮らし育つことが最も効率が良いのだと述べている。
本のカバーに先生の紹介がある
年齢を重ねるにつけだんだん母上に似てきた先生。「残念ながら大地踏みはしないでしまった」とは母上の談。
王祇祭の準備は一年がかりで行うが、豆腐焼きのためには大量の薪を準備しなくてはならない。先生の父上が当夜にあたる年のその薪割りのとき、元剣道部で鍛えた先生は誰よりもうまく斧を振るう太刀筋のみごと、薪割りの速いこと。それを見ていた近所の能役者のオヤジは言う。
「大学の先生なんぞにしておくのはもったいない」
二番汁に山椒をたっぷり掛けた豆腐を食いながら飲む約束だが先生が忙しくなかなか実現出来ないでいる。
JAZZ/ROCK 妖精のようなベーシストも出てくれば料理の話から
車の修理、パソコンいじり、振り子の振り幅だけはどこにも負けない
「多種共存のBlog」でした。
1000年続く森と林業の恵み
森林に魅せられた黒川出身の東北大学の先生が書いた本の紹介です。
実は届いたばかりでまだ何ページも読み進んではいない。いないのだが新聞にも広告が載り、ネットを見れば本屋はもちろんパソコン屋の書籍コーナーでも販売されておりかなり広く宣伝が行き届いているので、黒川出身の先生の本でもあるしと思いつつ、いや、こんなとーしろごときの稚拙なBlogで紹介するには文章力が乏しく恐縮だと引いてみたり、それでもええい! 出版祝いに載せてしまおう。 というわけ。
イタリアンの店に行く前に注文し、夕方には届いた迅速なシステムはAmazon
本の内容の学術的な難しい部分は知見を持たぬゆえさておき、自然の仕組みは各種の木、植物と動物、細菌にいたるまで見事な共生で成り立っていること。人はそのことを理解し森林を、木を大事にし循環型の社会を保つこと。自分の住む近くの木材で家や家具を作り、また世界でももっとも優れた加工技術を受け継いでいくこと。震災で大きな被害を受けた東北の復興のためにもそれらの想いが必ず力を発揮することなど共感できる考え方が述べられている。
清和先生が北大の学生だったときから北海道庁に勤めていた間に聞いた実際の話として、地元の林業を営む人たちが巨木をたくさん切り倒して売り大いに儲けさせてもらった自慢話が飛び交っていたこと。数百年、ややもすると1000年もかかって静かに成長してきた森林が、アイヌ民族が大切に守ってきた木々が、3,40年の間にいともたやすくあとからやってきた=それまで何も森林の面倒見ることも無く他人だった人たちの収入となり、木そのものは外国の家具や鉄道の枕木になって消費されていったことなど冒頭から紹介されていて驚く。
この中で衝撃的だったのはそうやって人間が巨木を切り倒しお金に換えてしまった森の面積が大きく、自然のままの姿を残す山はほんとのほんのわずかしか残っていないということ。日本の国土のかなり多い数十パーセントの山々は人間の手が入ってしまっていること。
森はそれまで自然に共生して育っていた広葉樹が人によって切り倒されかわりに植えられたのは針葉樹でありかつて豊かに調和していた森の生態系は人によってずたずたにされ貧弱なものに置き換えられてしまった。
いろいろな広葉樹の材でこしらえてある箪笥の前板の写真。残念ながらそのままの姿はモノクロで本のカバーには隙間を加工した写真が載っている。ぜひとも実物を見たい思いに駆られた。
ギターの表に意外な木を使って作ってみたい
これはというスピーカーボックスの木は何が良い。ツキ板でも良い。
これを書いているときに本はまだ途中まで。
国土と森林とを論じている本に失礼な私的な話で申し訳ないが、自分にチャンスがあるならば、もう一回家をじっくり計画して建てることが出来るならば、東北の木をふんだんに使って木のぬくもりたっぷりの空間を作ってみたいと思う。が、しかし、今の自分の経済力も年齢にしてももう一度家を建てることなど難しいことだし、さらに住宅建築を取り巻く環境も張子の建材とプラスターボードのような不燃材、安く速く組み上げるための工業製品化された材料ばかりで、無垢の木材を使ってもらうような建て方をした日にゃいくら掛かるか眼ん玉をひんむくような費用が掛かるだろう。昔のように普通の民家に普通に無垢の木材が柱と梁に使われることなどもはや夢物語。庶民の価格で建てられるような木材の流通、製材所、工務店&大工さんがいないものか。古民家再利用の家などもあるがこれまたかなり目ん玉ひん剥くようなお値段がするのだ。
子供の頃、関東に親戚が家を建てるときにお祖父さんが木材を送った。在来工法で建てられたその家は決して贅沢でもなく大きくもない普通の家だが50年過ぎた今も、一部改装工事をした今もがっしりとしている。当時の大工の腕もあるだろうが無垢の木材がしっかりしているのだ。そのお祖父さんが我々子孫のために○○ヘクタールにわたって植えてくれた杉の木は今も庄内の山で成長中ではあるが、少なくともわたしの住む空間に生きてる時間内に役立てられることには残念ながらなりそうもない。むしろ、親父がずっと面倒をみて下刈りをしたり、雪で倒れた木を片付けたり手を掛けてきたがもう80歳を過ぎてそろそろ親父自身が山仕事をするにはつらい。これから先の山の面倒と木を出荷できるようになる頃の経費が気掛かりではある。
己の小さな話を書いてしまったが本の話に戻ろう。
この本で述べられているのは、自然の森林がゆっくりと調和しながら出来上がってゆく仕組みを明らかにすることによって人間がやっきになって追い続けてきた「効率」というものを根本から問い直したかったこと。都会にコンクリートの密集した高層建築を林立させ、水や空気まで人工的に制御し「効率」を追い求めて電気を多用し、原発を必要とし、結局はそんなに効率を追い求めていないところにいる人たち、より生態系に近く暮らしている人たちが汚染されている。最高に効率の良いはずの原発は総合的にはとても非効率なものだとわかったはずだ。こんな偏った不平等なシステムはもう終わりにしようと言っている。生態系の自然な力を取り入れ自然と人が調和、共生しながら暮らし育つことが最も効率が良いのだと述べている。
本のカバーに先生の紹介がある
年齢を重ねるにつけだんだん母上に似てきた先生。「残念ながら大地踏みはしないでしまった」とは母上の談。
王祇祭の準備は一年がかりで行うが、豆腐焼きのためには大量の薪を準備しなくてはならない。先生の父上が当夜にあたる年のその薪割りのとき、元剣道部で鍛えた先生は誰よりもうまく斧を振るう太刀筋のみごと、薪割りの速いこと。それを見ていた近所の能役者のオヤジは言う。
「大学の先生なんぞにしておくのはもったいない」
二番汁に山椒をたっぷり掛けた豆腐を食いながら飲む約束だが先生が忙しくなかなか実現出来ないでいる。
JAZZ/ROCK 妖精のようなベーシストも出てくれば料理の話から
車の修理、パソコンいじり、振り子の振り幅だけはどこにも負けない
「多種共存のBlog」でした。
Posted by とーしろ at 14:00│Comments(0)
│日々是
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