2020年02月17日

担々麺 

オヤジの給食当番

担々麺




  

Posted by とーしろ at 12:12Comments(0)おれのラーメン

2020年02月13日

大叔父の句集 黒川能編







とーしろオヤジのおばあさんには兄弟が何人もいて一番下の大叔父が黒川の清和庄右衛門。
おばあさんのすぐ下の大叔父は仕事とは別に俳句を3300首も詠んだ人。
俳名を庄司一遥子という。趣味にしては膨大な作品数だ

娘婿の林さんがその作品を自費出版の2冊の立派な句集にしてくださったのが18年も前か。
その一冊を実家からもらったので大事に持っている。




黒川能に興味を持ってから改めて読んでみると、末弟である庄右衛門が黒川能に関わっている様子を読んだ作品が少なからずあった。我らが子供のころか、昭和53年ころにも黒川能が登場する句を詠んでいるので歳とってからなのか。





庄右衛門は太鼓の家柄である。いちばん寒い王祇祭の時期に出番を待つ楽屋の様子を(たぶん)覗いたりしたのだろうか。今でもあるかやるか股火鉢。囃し方は舞台に出るときは出づっぱり、番組により出ないときはずっと待ちだ。あんまりあぶると大事なところが焦げる。

「くっさめ」というアイ狂言方の面白い役回りをあほう役とは失礼だが微笑ましく見たのだろう。知らずに見ているとテンションの違う狂言方の登場に面食らうときがある。一遙子大叔父はどの程度の前知識をもって観たのであろうか。ちなみにトーシロオヤジはいつまで経ってもどしろーとのままだ。






「あさひ」とは王祇祭で夜が明ける時間まで見たのだろうか、七色に煌めく光の粒が見えるようなきれいな表現だ。
豆腐焼く串を青竹と誤解したかもしれない。あるいはその当時竹串を使ったこともあるのだろうか、知ってる限り杉串を使う。
大地踏みの子の頬が当時は雪遊びなどで焼けていたのだろう。時代を感じる。
蝋燭の明かりに照らされる能をしみじみ観た感じが伝わる





庄右衛門家の茶の間の大梁は確かに200年の色つやを含み太鼓の音が沁みこんでいることだろう。
笛の使い手も代々受け継がれた血筋というものが貫禄と良い音色を持つ意味の句。

この句集に一遙子が描いた挿絵が数点載っているが、もう一冊は挿絵がもっと多く載っている。今度、実家に行ったら見てみよう。 それにしてもシベリア抑留を経験して家に戻り、農協勤めや会社経営をしながら趣味にも生きたんだなあと思う。親族が大勢集まる盆正月はよく飲みよく喋り、賑やかの中心に居たものだ。


3300首以上の俳句を詠んだこの大叔父は96歳まで頑張った、おばあさんは103歳まで生きた(写真のまんなか)。おじいさんは95歳まで。庄右衛門大叔父は今93歳で元気だし、自分の親父も92歳で元気。長寿の家系には違いない。  




(ここに載せた句は作者と出版としっかりありますので模倣、転載など著作権は冒さぬよう願います)
  

Posted by とーしろ at 12:12Comments(0)黒川能

2020年02月12日

昭和28年出版 「黒川能」

真壁仁が昭和28年に初版を出した「黒川能」 当時はこの本以外に黒川能の全体の流れを伝える出版物が無く、貴重な資料だったらしい。 

黒川能の茂吉文科賞記念に山形市で上座下座揃って演能するに当たって、ぜひ再販をして欲しいという要望に応えて34年に再版された。 とーしろオヤジは平成20年にこの古本を結構なプレミアム価格で入手。見つけたからには欲しいんだから背に腹はかえられない。 この中に面白い記述を見つけた。明治37年に松尾村貴船神社で能四番を演能している。 松尾村にはお世話になっている小在家の秋山さんの家(3代友達で紹介されたおうち)から婿さん(今のお父さんの叔父さん)が嫁いでいる、その人の娘さんに同級生(眉目秀麗)がいる。六大学で野球部のアナウンスをした縁で野球部の人と結婚した。あの中畑とか仲間だとのこと。さらに家を継いだ彼女の妹の旦那さんは現在の貴船神社の宮司さんだ。 宮司さんとは春日神社の式年祭で隣同士だった。 貴船神社は我々の産砂の神社だ。 さらにさらにこの貴船神社のすぐ隣に我々が通った広瀬小学校がある、下座の上野由部太夫はこの小学校の校長先生でもあった。卒業式に舞を披露し送り出したこともあり。 縁が深い。









  

Posted by とーしろ at 12:12Comments(0)黒川能

2020年02月11日

2020年 王祇祭

2020年 黒川王祇祭
2月の1日午前中、上座と下座の両家共ご縁のあるお宅で両方に挨拶に伺った。

先に上座の秋山家 当屋当人 国司の称号は尾張守さま

息子さんの篤司さんは神社の笛(春告の笛)、能舞台の笛、仕事では工務店の社長でありかつ勉強熱心で断熱、気密性能の高い高品質の家を建てるプロだ。それに情報発信もマメに行い、地域活動も含め行動範囲がとても広い。公民館が本当屋なので脇当屋のご自宅へご挨拶へ伺ったら篤司さん自身が奉納客のお相手をされていた。車なので豆腐と甘酒をいただいて、次に王祇会館、下座の当屋へ向かった。 上座の豆腐は祭りの当日としては初めてごちそうになったが旨い。濃い目のつけダレ風2番で香り良く豆腐好きとしては毎日でも食べたい。

王祇会館に行くといつもお世話になっている秋山さんとスタッフが大勢の客の対応と電話応対で忙しそうにされていた。次に下座の剱持さん宅へ行きますよというと、船曳さんの替わりに奉納のご祝儀を持っていって欲しいという。少し待つことにした。



なんとすごい、憧れの船曳さんの奉納を預かるという嬉しい大役(それほどのことでもあるまい、直接ご本人に頼まれたわけでもなし)。 下座の剱持正夫さんは国司の称号が和泉守さま
剱持さんはうちの親戚が当屋の時に祭りの舞台以外のいっさいを取り仕切る所帯持ちを務めていただいた方。それ以来、黒川にお邪魔するたびにお世話になっている。実際、年齢も見た目も若く当人様というより良き兄貴分的な方だ。こちらもご自宅が脇当屋で、下座の豆腐をいただいた。こちらは飲める濃さの2番汁にたっぷり浸して食べるタイプでやはり山椒の香り豊かに固めの豆腐が旨い。




写真は隣の人のもので自分は甘酒


そういえば今年の当人様お二方とも職業は大工で、所帯持ちの大ベテランという共通点がおありということ。

一度実家に戻り夕方になって下座の演能を一晩、当屋の番組全部見た。親戚のお父さんと倅は親子で出番が多かった。代々、太鼓の家なのだが倅はワキも務めその番組でお父さんが太鼓という親子共演も見られた幸運。われらしろーとが聴いてもわかる良く通る声でりっぱな舞台だった。 

朝まで座っていたら腰が痛くなってきた。上座の当屋にも行きたかったのだがなにせ足が無くあきらめた。どちらの番組も見たいと思ったがなかなかそうはいかない。それに雪がないとはいえ夜中の寒空の下、簡単に歩ける距離でもない。 


2月2日朝、親戚の家で一息ついて、12年前に当屋を務めた大叔父が我々がお邪魔することを予定して家を暖かくして待っていてくれた。93歳になるが元気だ。姪っ子の旦那の大学教授の先生と話すのが楽しくて話が尽きない。おかあさんに朝ごはんをごちそうになり、神社へ送っていただいた。まったく何から何までお世話になる有難さ。

しばらく待つと遊びの庭をめがけて上座の王祇様ご一行が宮登りのためにやってきた。冠っこの声がかわいい。



重左エ門宅の遊びの庭で、七度半の使いを出して中にいる下座の王祇様が出てくるのを待つのだ。




両座の王祇様がそろったところで一行はお宮へ登る。




上座の尾張守さま、下座の和泉守さまが先に上ってくる。


この後、2体の王祇様は石段の最終ポイントから朝尋常(競争)としてものすごい勢いで神社の狭窓めがけて突進するのだ。あいにく写真は無い。下座の王祇様が少し前のめりでになり頭が地面に擦れた感じでコンマ何秒遅れてしまった。あとからやってきた太夫様が石畳に残った神様の紙垂のかけらをきれいに拾って着物の袖に片づけた。きれいな所作だ。

腰の痛くなりそうな気配がやばかったので今年は神社の演能、尋常事を観覧するのは控えた。昨年もご一緒だった黒川能大好きお姉さまとか顔見知りの方々も大勢おられたし、姪っ子と旦那とその先生とか一緒に見たかったのではあるけれど。

当屋を務めるご家族はさぞご苦労の絶えない大変な一年(それ以上)だったでしょう。外部の者にはわからぬいろんな困難も乗り越えてこの日を迎えられたことと思います。お疲れ様でした。まずは生活を徐々に戻しつつ、体調を整えていただき、日を改めて秋山さんと剱持さんにゆっくりお話を伺いに行くとしよう。ありがとうございました。















  

Posted by とーしろ at 15:57Comments(0)黒川能