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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2014年01月26日

上海を歩く

仕事で来た中国だが明日帰るっていう最後のまとまった時間が使える今日は仕事仲間が上海の町を案内してくれるという。なにしろ、彼は奥さんが上海育ち、自身も5年上海に暮らしバリバリ仕事をして子供二人を上海の一般の小学校に通わせたという。





ちょうど彼が暮らした辺りにホテルを取ってくれた



スポーツホテルという名前が愉快だ



さて、彼が暮らした頃は3本くらいだったが今は8本に増えた地下鉄でど真ん中に向かう。

黄浦洪という川が上海の真ん中にありその向こうがこれ



上海タワー



森ビルは「千歳飴」か「栓抜き」か。前回、上海に来たときは川向こうから見たのだった。

今、たっている川べりを振り向けば格調高い100年以上の歴史ある建物が並ぶ



横浜の人には大変申し訳ないが、キング、ジャック、クイーンの比じゃない規模で、かつ、その質と数はトランプの52枚全部そろうのではないかと思うくらい素晴らしい建築物群だ。どれもこれも日本の明治から大正時代に造られたものだという。ちょうど2時の鐘がなった、時計台を持つ建物もあり。90年から120年くらい経つ。ある時期、世界経済の中心だった。経済発展を遂げた今は感情的なくだらない台詞で攻撃的になるより、情緒たっぷり余裕でことに当たればもっと世界から尊敬されるだろうに。4000年の歴史と先進の文明は確かに素晴らしい足跡があるのだから。


上海は町を歩く人の姿も地方都市より全体的に垢抜けている。


ただし、上げたり下げたり忙しいがどこでも「かーっぺっ」は何とかして欲しいし、ホテルのエレべーターが1階に到着して、降りる人より先に乗ろうとするのが不思議というか許せない。「馬鹿かっ!」と思う。上海でこれだ。



吉野家の牛丼を食べ町をかなり歩いた後、仕事仲間の彼はよく通ったというDVD、CDを売ってる場所に連れてってくれた。


このようにプロの音楽家を育てる由緒ある場所で


どうどうと



店を構えて、リヤカー台をにしつらえただけの構えていない店もあったが。





ご存知のものがとってもお安い価格で販売されているのであった。CD屋はクラシックやオペラ、声楽が多いが探しているとJAZZもある。


プロになろうとして学校に通う学生はどんな気持ちで見ているか、しかし、勉強のために聴くのは安く聞きたいということもあるだろうか・・・
と、法に触れるので紹介だけです。昔はもっとたくさんの店があったそうな。今でも元気に販売している店はPCのOSからCAD、OFFICE系SOFTなんでもありでした。



上海は2400万人が暮らす世界でも最大級の都市だ。彼のおかげで今まで知らなかった中国の大都市が見られて大変充実した一日でした。一人ではとてもこのように行動することが出来ない。地下鉄にもバスにもタクシーさえ乗ることができない。

明日は無事に飛行機が飛ぶことを願う。  

Posted by とーしろ at 19:05Comments(0)

2013年12月19日

沖縄 首里 オリオンビール

ゆっくり時間の掛かった旅日記も一旦締めくくっておこう。

那覇に戻り美味い島料理を食べて美味い泡盛をたらふく楽しんだ次の日
ピーカンのお天気に兄貴のお友達ご夫婦が大きな車で乗りつけ案内して
いただけるという幸せ。

夕方のANA便に間に合うまでのこの度のラスト沖縄

首里城を見に行く







沢田研二の「うしゅがなしーめ」

富司純子










ガラス体験工房は時間の関係で製作は断念

他のグループの楽しそうな製作風景



黒い服を着て熱いガラスをコロコロしているのは若いお嬢さん
赤を混ぜた美しいグラスを完成した後の笑顔が輝く。ピース!








お昼はもちろん「おきなわそば」



この分厚い肉をそれなりの枚数に切ったなら東京界隈のりっぱなチャーシュー麺を凌駕することだろう。麺量は黙って200g越え、中盛りにすると作業服のおニーさんも満足の300gは固い。それでも600円。スープがとてもシンプルで好感が持てる体に優しいさっぱり塩味。美味い。




旅の仕舞いにゃ「オジーのオリオンビール」で決まり






工場見学をさせていただき作りたてのビールをぐいっ!




そんな楽しい南国の旅はこれまで。

無事に羽田に帰りいつもの日常に戻ったのでした。


宮古島で知り合ったすべての人へ、うさぎやの重ちゃん、フランスから来た真面目なルシーちゃん、エイサーのコータ、かりゆしのおねーさん、島料理のお店の方々へ、琉球ガラスのおねーさんへ、おかみさんバスガイドゆかりさん、帰ってきてからメールを含めてずっとお世話になっている小太郎さんご夫婦へ、そして何より本島でお世話になった兄貴のお友達ご夫婦へ、本当にお世話になりました。感謝感謝の旅でした。

白い砂とエメラルドグリーンが俺を呼んでいる

また、かならず沖縄へ宮古島へ

ありがとう。






  

Posted by とーしろ at 07:00Comments(0)

2013年12月12日

那覇 国際通り 風彈

さて、沖縄の旅は3日目に沖縄本島に戻りホテルにチェックインしてから
国際通りに行ったところまでだった。


琉球ガラス、泡盛、ムラサキ芋タルト、ちんすこう、同じような定番のお土産の
店が続く。




あーーん? なんか用か、ここのか、とおか





ジョーっ!       地に足が着いてねーぞ






かりゆし専門店で控えめながらシーサーが織りで表現されている綺麗なシャツを購入。写真を載せると来年の夏、これを着て街を歩くだけで誰かバレるので載せないことにする。






夜はホテルで調べてもらって国際通りから少し裏道に入った店に行った。

『風彈』  ふうたん 









とても美味い店です。じーまみ豆腐も最高。ラフテー最高。

沖縄の定番料理をひととおり食べてから頼むは「やぎ肉」刺身



庄内で言うところのどんがら汁のように「やぎ汁」という看板が目立つ。






「はた」の煮付け。和風料理と言うよりもっと南国の感じ、アクアパッツァと
言っても良いだろうか、とてもしっかりした歯ごたえの白身がうまい。


この店で我々の相手をしてくれたのは学校から帰って手伝いをしてくれてる
感じの高校生。はきはきと話してくれる少年というかなかなかの好青年。


オリオンビールの後にどの泡盛が良いか聞けば迷わず 『残波』 と言う。


なるほどうまい。ストレートでもロックでも。  すっかり残波が気に入った。


えっ?







それで帰ってきてから「残波」を探したらありました。大変な人気ぶりです。
泡盛の話題は別にとっておこう。


彼は店長にお客さんにはこれを薦めなさいと言われているだけです。


先に載せたある酒屋の看板に全国の美味い日本酒の銘柄を見つけたのは
この店からホテルに帰る道すがらでした。


うまい島酒に酔い、パーントゥとかシーサーのこわい夢を見る暇も無くホテルの
フカフカのベッドでぐっすりと鼾をかいて深い眠りについたのでありました。


  

Posted by とーしろ at 22:26Comments(0)

2013年12月07日

宮古島まもる君





沖縄から帰ってきてから忘年会やら何かと年末の忙しさで家にいない日も多く、居ても工作タイムをしているのでなかなかBlog UPが滞ってしまっている。

作っている物は近々ご披露することにして、旅の続きを書いておこう。



沖縄の旅は三日目の朝にそれまでの青空から一変し強い風と大雨に見舞われた。
ホテルのレストランへ続く通路の途中の開放感ある造作は頑丈なシャッターと分厚い鎧戸で閉められている。赤瓦の上のシーサーを撮り損ねた。

前日の朝にタブレットで撮った写真は設定のせいもあるが荒い。この屋根をもっと良い角度で撮りたかったのでした。





実際に人が住んでる民家のシーサーが撮りたいと思ったが、今は台風対策で木造の家を作らなくなって民家に赤瓦を使うことがなくなったそうだ。道すがら家を眺めてもすべて鉄筋コンクリートの建物ばかりで赤瓦にシーサーという姿はまったく見ることがない。ガイドさんのお話では屋根の代わりに門柱にシーサーを載せるようになったということだった。景色としては残念だがあの強烈な台風に耐えて暮らしていることを思えば自分がここに住んでいても鉄筋の家を選ぶだろう。



さらにこの日撮ろうと思っていたがあきらめるしかなかった被写体

・ホテルの庭の「がじゅまるの木」 (日立のCMに出てくるようなかっこいいやつ)
この写真はまさに撮ろうと思った東急リゾートのBlogに載ってるその木





・宮古島の中で雨の日も台風の日も職務を全うする「宮古島まもる君」とのツーショット。 




「宮古島まもる君」は全部で19人の兄弟という設定で正式に市から辞令が降りて勤務している。皆黒い制服姿だが一人だけ赤い制服を着た妹の「宮古島まる子ちゃん」が宮古島空港に勤務している。





まもる君達が交通安全などの仕事をしているので人間のおまわりさんは「宮古島さぼる君」になっているらしい。 (うそ)





飛行機の時間は遅れたがなんとか宮古島から沖縄本島に戻った我々は雨の上がった国際通りを歩き、遅めの昼食を食べてみやげ物や三線を売ってる店を覗きつつ本日の「夜の店」を探すのだった。





  

Posted by とーしろ at 15:27Comments(0)

2013年11月29日

絶世の美女 マムヤ

南国の日差しの火照りがまだ冷めやらぬとーしろオヤジが綺麗なガイドさんから聞いたお話を再現しましょう。

南国の海に身を投げた薄幸な絶世の美女『マムヤ』のお話


東シナ海と太平洋の写真の場所 『東平安名崎』 まで遡ります。






むかし 昔、保良村にマムヤという、それはそれは美しい娘がおりました。
人もうらマム美しさだったそうな。   (ごほん と言えば 龍角散)

マムヤは余りの美しさのため村の若者を始め、近在近郷の男達がマムヤを一目見ようと人垣を作ったほどであるといわれております。 若者たちはありったけの金品を積んで私の嫁に来て欲しいと申し込みましたがマムヤは断り続けました。「私は一人で静かに暮らしたいのです」

ある日、野城の按司(あじ)、崎山の坊という人は魚釣りにことよせてマムヤに会うことができました。野城の按司(あじ)といえば当時一国一城の主として今の城辺地方を治めていた人であります。彼は妻も子もおりますが、マムヤに言い寄って来たのであります。いくら言い寄っても良い返事をもらえないので村までの長い距離を得意の技でどちらが速くたどり着くか、勝負して私が勝ったら嫁に来いと言い、マムヤは同意してしまいます。坊は部下村人を使いサンゴの石を積み村までたどり着きました。マムヤは一人で必死に糸を紡ぎましたが負けてしまいました。そして、しかたなく坊のお嫁さんになりました。

しかし、いざ坊の家に暮らしてみれば本妻のいじめがひどくマムヤにとってはとても辛い暮らしでした。

ある日のこと、崎山の坊はマムヤを連れておじさんの家を訪れ、マムヤの美しさを自慢したのでございます。
「おじさん、わたしの妻は小便のにおいがするが、マムヤのにおいは香水のにおいだ」と言いました
するとおじさんは坊をこう、さとしました。「今はマムヤの方が良いのかもしれないが、年がたつに連れて、子供の母親である最初の妻の方が良いということにお前も気づくだろう」と・・・  坊は言います「うーん、確かに小便臭いかもしれないが子供のいる今までの女房が良いなぁ」

このやりとりを聞いてしまったマムヤは、自分がだまされていることに気がつき、おじさんの家を飛び出して東平安名岬へ身をかくしてしまいました。マムヤは傷心のまま、東平安名岬の洞窟の中に身を隠し、その中で機を織って一人暮らしたということであります。 マムヤは結婚したいことを後悔します。

野城の按司は、マムヤのことが忘れられず毎日毎日、マムヤを探して東平安名岬をさまよい歩いたのでございました。そして機を織る音を聞きつけて北側の岩壁に立ちますと、音は下から聞こえてくるのです。下へ降りてみると、今度は上から聞こえてきました。不思議に思って探し回るうちに、とうとう崖の中腹にある洞窟の中に機を織っているマムヤをみつけました。マムヤは二度と会うまいと思っていた人に見つけられ、もはやこれまでと崖のうえから身を投げたということであります。





その後野城の按司、崎山の坊は泣き暮らして政治を怠り、野城に栄えた城も滅びてしまったと申します。
さてマムヤが身を投げて死ぬとき、自分が美しさの故に味わった不幸せを、せめて村の娘達だけには味あわせたくないと思い、この保良村には美しい娘が生まれないようにと神に祈って、身を投げたということでございます。そのため、保良村には美しい娘は生まれないと言い伝えられておりますが、それでは保良村の女が浮かばれません。 保良村は宮古でも一番美しい娘さんの多いところでもございます。(ああっ、良かった)




それでは、マムヤの願いは叶えられなかったなかと申しますとそうではありません。何事にも裏と表があるものでございます。マムヤはこの呪いをかけた後、ただ一つだけ呪いの解ける方法を残したと言われています。それは、この東平安名岬の芝生の窪みの水に満月が映ったとき、妊婦がその水を手ですくって飲むと、マムヤの呪いは消え去ると言うことでございます。




きっと、保良村のお母さん達は、満月の夜、我が子が美しくなれと祈って、この東平安名岬で月を映した水で割った泡盛を飲んでおられることでしょう。

とーしろオヤジは沖縄の水で作られた「泡盛」を両手ですくって飲んでおります。
マムヤはとーしろオヤジの隣でいびきをかいて寝ております。たまに、ケツをかきながら・・・



めでたし、めでたし。

このマムヤの絵は宮沢りえに似ていると思うのは私だけだろうか・・
いやいや、この絵の美女は「りえ」には悪いがもっと美しい。


沖縄は美人が多いと思う。しかし、
今の若いおかあさんがそのようにして赤ちゃんを産んでいるかどうか、うマムヤらしい。






  

Posted by とーしろ at 22:54Comments(0)